1.小学校の図書館にあったSF本は全部読みました。
私は、本を読むことが好きな子どもでした
かといって、どんな本でもいいかというと、それはかなり偏っていて、私が主に読んでいたのはSFシリーズでした。
小学校の図書館にあった、シリーズ名は残念ながら忘れてしまったのですが、と書棚の一角を占有していたSFシリーズは全巻読破し、好きなものは何回でも読み返していました。ところが、その隣の棚を陣取っていた「江戸川乱歩」シリーズには全く目をくれませんでした。江戸川乱歩シーリズには、恐いというイメージを抱いていて(多分本当に恐かったと思う)、一度も手を触れませんでした。
2.本を読むことは好きだったが、感想文や作文は嫌い
本を読むことが好きだった反面、作文は苦手中の苦手でした。夏休みの宿題に代表される読書感想文は最後の最後までやらずに残ってしまい、夏休みの最後の最後、毎回、相当苦労したことを覚えています。
そんな私が、なぜこんな風に文章を書いたり、小説を書くようになったのか?
きっかけは、小学6年生の時のことでした。

3.私を作文を好きにさせた作文の宿題
ある日のことです。担任のN先生が「題材自由、文字数自由で何でもいいから作文を書いてこい!」という宿題を出したのです。
作文の宿題。それは当時の私にとっては絶望的な宿題でした。しかも題材も自由、文字数も自由。一見、自由度の高い宿題のようですが、何も決まっていない、全てが自由というのは、逆にどうしていいのか分からないというジレンマに陥るものです。
皆さんも覚えがありませんか?
「今日、何食べたい?」と聞かれて、「何でもいいよ」と言われると逆にどうしていいのか分からなくなる。カレーでも、麻婆豆腐でも、焼き魚でもなんでもいいから言ってくれ、と思います。
総てが自由の作文の宿題。
小学校の何年生のことか、正直覚えていないのですが、こちらはこちらで、腹をくくりました。
「なんでもいいって言ったのは、先生だからね」
私は考えに考えた挙げ句「宇宙旅行」とタイトルを付けて作文を書きました。
当時、日曜日の夜のテレビは「宇宙戦艦ヤマト」と「猿の軍団」が子どもたちの人気を二分していました。コワイモノが苦手な私はヤマト一択で、毎週、テレビに齧り付くように見ていました。
ガミラスの遊星爆弾攻撃で、地球人類はあと1年で滅亡してしまう。その危機を救うべく、かつての戦艦大和を改修し、新たにイスカンダルから技術供与された波動エンジンで、放射能除去装置コスモクリーナーを受け取りに片道14万8千光年の旅をする。
これに私は心を奪われました。
そして、ヤマトと同じように宇宙を旅する「物語」を書こうと決めたのです。
それは不思議な感覚でした。
あれほど苦手だった作文が、スラスラと書けるのです。原稿用紙で何枚書いたのか、いまでは思い出せないのですが、4枚以上は書いたと思います。本当に自由に、自分の思うように書いた最初の作文であり、それはおそらく、私が書いた最初の「物語」になりました。
そして、提出した作文が帰ってきたときのことです。
タイトルに赤で二重線が引かれていて、その脇に先生の文字でこう書かれていたのです。

「悠久」なんて言葉を当時の私は知りませんでした。だから、なんか自分がすごく大人になったような感覚を覚えました。そんなカッコいいタイトルを付けてもらったことが、先生に自分が書いた作文を認めてもらった証左のような気がして、このときの感動が「オブシディアンの指環」にまで繋がっているんだと私は思っています。





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