自費出版への道 18 「松本清張賞」へ応募したときのお話し

奮闘記

 夜中に書いたラブレターを朝になってから読み返してみると、とても恥ずかしいとはよく言われることですが、「第1章 やまのべのみち」を読み返したときの私は「コレはダメだ」と悟りました。
 〝これは物語ではない。ただの記述だ〟
 そこで私は、パートナーの言うとおり、物語の設定から入ることにしました。

 まずは「何を書くか」です。
「小説、書けるんじゃない?」と、言われて私の頭の中に思い浮かんだのは、大人の課外講座の「日本創世の物語」でした。それは「日本の古代史って、本当はこんな感じじゃなかったのかなぁ」ということです。それをどんな風に小説として、物語として表現していけばいいのか、思案しました。

 まず、物語の主人公と舞台を設定します。
 主人公は、アトピーに悩む女子高生。藤井夢心ふじいゆめと名付けました。
 幼い頃に発症したアトピーのせいで学校ではいじめられ、引っ込み思案で友達もいない。唯一の友達が幼馴染みの天海萌あまみもえ。萌は、蟠桃堂ばんとうどうという漢方薬局を開いている天海珀あまみはくの一人娘としました。
 蟠桃とは、孫悟空が食べたとされる不老長生の象徴とされる桃のことで、実在の果物です。
 
 薬局とかアトピーとかが出てきたのは、大人の課外講座のメイン講座が健康テーマとする講座だったこと、加えて登録販売員の資格試験を受けたことも影響していたんだと思います。

 蟠桃堂の店主、天海珀は歴史に造詣が深く、また夢心の祖父、藤井宇宙ふじいそらは著名な歴史学者で、蟠桃堂で天海と歴史談義に花を咲かせていて、夢心はその二人の話を聞くのが好きでした。

 あるとき、蟠桃堂に木本理砂きもとりさという女性がやってきます。彼女は、仕事のストレスで不眠症になり、たまたま見かけた蟠桃堂の看板に惹かれて店のドアを開けたのです。

 天海のカウンセリングを受け、漢方薬を処方してもらい、何度か店に通っているうちに理砂は夢心や宇宙と出会います。そして理砂が宇宙に尋ねるのです。

「あのう、宇宙先生がテレビで言っていた、アンバー・ルートのことを教えて頂きたいのですが」と。

 アンバー・ルートとは「琥珀こはくの道」のこと。
 いまの岩手県久慈市を中心に産出され、そこから奈良県桜井市付近にあったとされる古代纏向まきむく遺跡周辺まで運ばれたと言われており、その移動ルートのことをアンバー・ルートと呼んでいます。

 この理砂の言葉が切っ掛けになって、物語は歴史の謎解きへと入っていくのです。

 こうして書いてると、改めて分かりますね。全然ダメなことが。
 なぜなら、ここには物語全体の設計図がないからです。それを「プロット」と呼ぶのですが、このときの私はプロットという言葉すら知りませんでした。

 小説の多くは、日常を漫然と暮らしていた主人公が、ある日突然ハプニングに巻き込まれて、それを解決しようともがいているうちに成長し、同時に問題も解決していく、そんな大きなストーリーがあると思うのですが、ここにはそういった設計図、プロットがないのです。

 物語全体のテーマや設計図がありませんから、物語の展開も行き当たりばったりです。なんとなく物語風に書けばいいだろうという自惚れが先行し、物語や小説のなんたるかを当時の私は全く理解していなかったのです。

 その一方で、物語にリアリティを持たせるために取材はしました。
 物語の舞台に漢方薬局を設定したのはいいのですが、肝心の漢方薬局がどういう所か行ったことも見たこともなかったので、東京に行く機会を利用して、文京区にある高島堂薬局さんに行きました。そこで実際に私自身がカウンセリングを受けて、漢方薬を処方していただきました。

 漢方のカウンセリングを受けるのも初めてだったのですが、時間にして40分くらいだったでしょうか。かなり長い時間、とても細やかで丁寧な質問を受け、私の答えに対して非常に分かり易い説明を受けたのをよく覚えています。そのときに見た百味箪笥や調剤の様子などが物語の中に色濃く反映されています。実体験は大事ですね。

 さて、物語が書き上がってくると、それを誰かに評価してもらいたいという衝動に駆られてきます。これはもの書きに限らず、クリエイティブな仕事をしている人には共通の気持ちではないでしょうか。

 物語の評価と言えば、真っ先に思い浮かべるのがコンテストです。
 書店に行って「公募ガイド」を買ったり、インターネットで自分が応募できるコンテストを探しました。その結果分かったのは、私が応募できるコンテストは非常に少ないということでした。

 というのは、最終的に書き上げた作品は文字数にして約17万字。400字詰め原稿用紙で420枚余り(一太郎で文字数を計算)という長編小説になっていたのです。もっと字数を少なくすれば応募できるコンテストもあったのですが、校正してコンパクトにしても限度があって、それなら書き上げた作品をそのまま応募出来るコンテストに応募することに決めました。

 それが「松本清張賞」でした。
 以下は、令和7年に行われた第33回のコンテストの応募要項ですが、私が応募した第25回も同じだったと思います。

 原稿本文はA4判1枚あたり40字×30行の縦書きでページを設定、ノンブル(ページ番号)を振り、100ページ以上200ページ以内に収めてください。原稿のデータ形式はMS Word(.docまたは.docx)を推奨します。下記テンプレートをご利用ください。
 原稿1枚目は表紙とし(ページ数には含まず)、(1)題名、(2)筆名(ふりがな)、(3)本名(ふりがな)、(4)郵便番号・住所、(5)電話番号、(6)メールアドレス、(7)年齢(生年月日)、(8)現職、(9)略歴(学歴・筆歴)、を記載してください。あらすじは不要です。なお応募者の個人情報は、候補作・授賞作の発表、該当応募者への連絡のために使用し、選考後、直ちに破棄します。

 私が書き上げた作品のタイトルは「蟠桃堂の談話室」。
 松本清張賞の応募書式でちょうど200ページです。また応募規定にはないのですが、提出規格のWordで文字数を計算すると400字詰め原稿用紙で594枚になってしまい、先ほどの一太郎で文字カウントしたときの420枚あまりと、なぜ一太郎とWordでこんなに差が出るのか、未だに分かりません。

 かくして、応募締め切り日の平成30年10月31日の早朝、私は松本清張賞に応募するためのボタンを押したのです。

 原稿を送った瞬間と宝くじを買った瞬間の心理には、とても似ているものがあると思います。そう、当たった氣になってしまうのですね。松本清張賞の正賞は時計。時計としか書いてないのですが、おそらくは高級腕時計に違いないと私は勝手に思い込みました(真偽は未だ不明)。そして副賞が500万円。他のコンテストと比べてみても、破格です。

 目がくらみましたね~。
 いま考えるとおかしくて仕方ないのが、前祝だ=! と私、わざわざ浅草まで授賞式に着るための和服を買いに行ったのです。余談ですが、そのときに行った「洋食屋ぱいち」さん。美味しかったです。和服屋さんに教えてもらって、午前11時の開店前1番に並ぶことが出来たのですが、開店後、あっという間に満席になってしまい、私が食事を終えて店を出たときには、長い列が出来てました。

 平成30年、第25回の松本清張賞の応募作品総数は、538篇。
 そこから予選を通過したのは、わずか27篇。僅か5%の狭き門でした。
 当然、私の作品もここで弾かれました。
 第2次予選通過作品は9篇、最終候補に残ったのは4篇でした。
 大賞を受賞されたのは、川越宗一さん著の「天地に燦たり」でした。

 結果が出て、正直、残念な気持ちと同時に「やっぱりな」という氣持ちもありました。世の中、そんなに甘くないのです。

 とはいえ、内容は兎も角、一つの物語を書き上げたことは事実で、それはそれで自信にはなったのです。だから、松本清張賞に応募した後、いくつかエッセイのコンテストに応募したりしていましたが、心のどこかで「そうじゃない、これじゃない」という思いがありました。

 そこで私は、エッセイから離れて、続編を書いてみることにしました。
 「蟠桃堂の談話室」は、主人公の藤井夢心が高校2年生で終わっていましたので、続編ではその後、夢心が大学を卒業して蟠桃堂に就職をするという設定から物語を始めたのです。

 でも、ここに至っても私は問題の本質に気付いていません。
 そう、物語全体の設計図、プロットを作っていないのです。
 書き始めたものの、直ぐに行き詰まってしまいました。どうにか全体の章立てを考えて、それぞれの校正を文字にしてみるのですが、しっくりきません。
 遂には、この続編は書き上げることが出来ませんでした。
 (だから、曲がりなりにも「蟠桃堂の談話室」を書き上げたのは、エライと思うのです。決して、自画自賛じゃなくてね。問題は大アリな作品だから)

 そして、松本清張賞に応募してから、約1年後の2019年10月初旬。
 私は「蟠桃堂の談話室」をゼロベースで書き直すことにしました。
 応募するコンテストも決めました。
 文芸社の「第三回 歴史文芸賞」。
 応募の締め切りは、2020年7月31日。残る期間は10ヵ月。
 また、物語漬けの日々が始まります。

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