自分で書いた本を自分でお金を出して出版するのが自費出版です。だからこそ、楽しくやりたい。嫌な想いを我慢してまでやりたくない。
ブックパレットから本を出したときの喜びは、いまでも強く記憶に残っています。
でも、メールだけのやり取り、顔の見えない取引を長く続けることは私にはムリでした。メールだけのやり取りには感情が伴いません。
送り手には送り手の感情があり、読み手には読み手の感情がある。
だから、送り手の気持ちが100%、読み手に伝わることはないのです。
結局、ちょっとしたトラブルから、こうした不満や不信感が露呈して、令和3年(2021年)の11月26日にブックパレットとの取引を終了することを決めて、連絡をしました。金曜日のことでした。
ブックパレットとの取引は、こちらが提出したPDFファイルを印刷、製本してもらっただけなので、著作権についての権利は一切発生していませんでした。なので、何の制約もなく、ブックパレットとの取引は終了しました。
そして私がしたのは次なる出版社を探すことでした。
私の頭の中には「出版」しかなかったのです。
そこで真っ先に思い浮かんだのが、前の年の10月1日に歴史文芸賞の件で、わざわざ東京の本社まで行ったその日の晩に連絡をもらった文芸社でした。
その日のうちに私は文芸社へ電話を入れました。
我ながら、こういうときの行動は早いですね、私。
ただ、時間が遅かったらしく(確か、午後7時近くでした)、当時電話を頂いた編成企画部の女性はすでに退勤しており、月曜日に改めて連絡を取ることにしました。
そして週明けの月曜日、改めて文芸社に連絡を入れました。正直、そのときの詳しいやり取りまでは覚えていないのですが、たぶん、
「あのときのお話しはまだ生きていますか?」なんていう、やり取りをしたのではないかと思います。
そしてその日のうちに、原稿を文芸社の担当者宛に送りました。
文芸社の打ち返しも早かったです。
「お忙しい中、原稿データーのご送付ありがとうございます。お話はお聞きしておりましたが以前拝読した作品からかなり縮小されたのですね。ここまでお話をカットするのに、どのくらいの労力を費やしたのかと、部内スタッフが感心しておりました」
全文ではありませんが、このような内容のメールをその日のうちに頂きました。この前年に応募していた歴史文学賞の作品を読んでもらっていたのは私も知っていたので「かなり縮小されたのですね」という一文は、もちろん、ざっと見ただけだとは思いますが、歴史文芸賞の応募作品と比べると、2/3くらいまで絞り込んだことに氣付いていただけたことは、素直に嬉しかったです。
けれど、今回も一筋縄ではいきませんでした。
このメールは「これからお見積もりを制作いたします。少々お時間を頂きますがよろしくお願い致します」という一文で終わっていました。
この「少々のお時間」が、長かったのです。
このメールを頂いたのは、令和3年(2021年)11月29日のことでした。
次に文芸社と連絡が取れたのは、令和4年3月19日。
およそ4ヵ月近くの間、私は、毎日、毎日、「少々のお時間」を待ち続けたのです。
なぜ、こんなことになったのか。
当時の私は、原稿を送れば、担当者か編集者が原稿を読んで、朱を入れてチェック、編集をしてくれるのだろうと勝手に思っていました。でも、前のブログにも書いたように、ブックパレットはこちらが送った原稿を、あくまで製本用に編集、PDF化するだけで、本文は一切読んでいないのです。だから、原稿を送ると直ぐに返事が来ました。最初はその意味に氣付かなかったのですが、落丁事件があったときにそのことに氣付きました。
なので、文芸社から「少々お時間を頂きます」と言われたときに私は、今度こそ、本文をしっかり読んで編集していただけるのだと、強く、強く思い込んでいたのです。だから、返答に時間が掛かるのは仕方がないことだし、むしろこちらとしては望んでいたことだと、これも強く思い込んだのです。
そして12月は年末だから、忙しいのだろう。
1月は年明け直後だから、忙しいのだろう。
でも、さすがに2月になると「ちょっと、時間が掛かりすぎてないか?」と思うようになりましたが、こちらの仕事も忙しく、あっという間に3月になってしまいました。
3月になると「流石にコレはおかしい」と、思うようになり、それでも年度末の日々はあっという間に過ぎていき、文芸社に電話を入れルことが出来たのは、3月19日のことでした。
すると、驚きの事実が発覚します。
電話に出た担当者に私は言いました。
「見積もりをお待ちしているのですが」
「あの、100万円を超えるとダメだと聞いていたものですから・・・」
「いや、その見積もりを待っているのですが」
「え、あ、その・・・」
彼女を庇うわけではありませんが、おそらく前年の10月1日に文芸社を尋ねたときに700万円を超える金額を、口頭ですが、伝えられたときに「それは流石に高いですね」という会話をしました。そのことを当日の夜に電話をもらったときに私が口にしていたのかも知れません。彼女はそのことを記憶していて、積算された見積もりを見て「コレはもうダメだ」と勝手に判断して、連絡することが出来なかったのかも知れません。
まぁ、私も営業経験が長いですから、彼女のそんな心理を理解できないでもありませんが、おそらく見積もりは12月の初旬には出ていたのだと思います。それを4ヵ月近く、放って置かれた事実に「この4ヶ月間は何だったんだ」という氣持ちが湧き上がってきました。
でも、私の一番の希望は、ちゃんと本を出すこと。この1点です。
「見積もりが出ているのなら、それを送っていただけますか」
郵送で送られてきた見積もりの内容は以下の通りでした。
書 名:オブシディアンの指環 上下巻
判 型:A6判 文庫本サイズ(148㎜×105㎜)
製 本:並製 帯(1色)付き
カバー:4食ブルカラー印刷・カバーコーティングあり
表 紙:1色
印 刷:1色刷り
予定完成項数:◎上巻:620頁予定、◎下巻:620頁予定
予 価:後日相談の上決定しましょう
発行部数:250部
贈呈部数:20部
発行時期:出版契約締結後10ヵ月後 ※原稿推敲機関を含みます
著作権使用料:本体価格に対し、初版第1刷2%、第2刷6%、3刷8%
流 通:あり・全国書店流通型(ISBNコード付き)
配 本:提携書店10店舗(1店舗につき各1冊)
平積み:あり(ただし、面前陳列の場合もあり)
この内容で、1巻あたり100万円を超えた見積もりでした。
私の場合、上下巻の発行予定でしたから、つまり200万円超えですね。
それでも、最初の700万円のインパクトが強すぎて、かなり安く感じたことも事実です。
提示された見積もりでは、上下巻ともに620頁の想定でした。
これは、ブックパレットで出版したときの書式で計算されたもので、詳しくは以下の通りでした。
A5版、縦書き
上下2段組で1段あたり、1行25文字、22行
文字間隔:1.2ポイント、行間隔:4.9ポイント
余白:上、右、左ともに15㎜、下のみ20㎜
総文字数(目次、登場人物紹介、作者後書き含む):388,225文字
400字詰め原稿用紙換算枚数:971枚(一太郎カウント)
文芸社セレクション用に変更した書式は以下の通り
A6版 縦書き
2段組を辞めて、1頁あたり、1行39文字、17行
文字間隔:0.1ポイント、行間隔:4.5ポイント
余白:上、右が13㎜、左、下が10㎜(奇数頁は左右が逆になります)
上下巻に分割し、上巻で451ページ、下巻で489ページになりました。
ここまでくれば、もうお分かりだと思いますが、私にとっての出版は、もはや金額の問題ではなくなっていたのです。
でも現実に出版にはお金が掛かるわけですから、なんとか工面しなければいけません。
取引のある銀行に行きました。
銀行からお金を借りてまで出版することには賛否があるかも知れませんが、私は自分で書いた本を自分の責任で銀行からお金を借りて出版する、そう決めたということです。これは私の、私による、私だけの問題ですね。
まぁ、この融資についてもいろいろ言いたいことはある訳なんですけどね。
なんやかんやで、令和4年4月1日付けで私は文芸社と出版契約を結びました。ここから約8ヵ月、出版までの道のりが始まったのです。





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