奮闘記

奮闘記

自費出版への道 15 東日本大震災

その日、を境に私たちが「あたりまえ」に過ごしていた「日常」が、実はあたりまえではなくなった災害がいくつかありました。 平成7年(1995年)に起きた阪神・淡路大震災もそうでした。 京都に4年、住んでいた私にとって、阪神高速道路が倒壊し、阪急...
奮闘記

自費出版への道 14 わたし、社長になる

1.コラムを書いてくれませんか? 私が自分で書いたものを世に出す切っ掛けとなったのが、地域で発行されていたミニコミ誌への投稿依頼でした。 当時、私はとある経営者の集まる会の会員で、広報委員会に所属していました。広報委員会では、毎月、地区の活...
奮闘記

自費出版への道 13 自分の目で見て、調べて、伝え続けた日々

1.何も分からないが故に出来たこと  保険業界のことなど何も知らなかった私は、それを逆手にとりました。 いまの自分とお客様は保険のことを何も知らない点で同じだと考えたのです。 もちろん、私自身は38ヶ月もの間研修を受け続けていましたから、厳...
奮闘記

自費出版への道 12 建築から不動産、そして保険へと波瀾万丈の5年間のお話し

1.最初の転職1)英会話の習得にチャレンジ 新卒で入社した住宅メーカーには12年、勤めました。辞めたのは平成12年、2000年の9月でした。 辞めた理由はいくつかあるのですが、一番大きかったのは氣持ち、でした。 まず自分には住宅やアパートの...
奮闘記

自費出版への道 11 アパート事業部でオーナーズ倶楽部通信を発行したお話し

個人住宅とアパートの営業というのは、まるで違います。 個人住宅、いわゆるマイホームは当然ながら個人がお客様です。 いまどんなところに住んでいて、どんなところに不満があるのか。新しい家はどんな家にしたいのか、それを資金計画とともに組み立ててい...
奮闘記

自費出版への道 10 就職して全く営業成績の上がらなかった私が 雨の石畳で撃たれて死んだお話し

私が就職先に選んだのは、大手住宅メーカーでした。 なぜ、住宅メーカーを選んだのか。そこに明快な論拠はなく、ただ単に給与が良かったから。ボーナスも年に3回も出たんです。日本育英会から借りていた奨学金も返さなくてはならず、単純にお金が欲しかった...
奮闘記

自費出版への道 9 大学で素うどんを食べていた私が就職してお昼に肉野菜炒めを食べるようになったお話し

昭和最後の年末年始、私は北海道にいました。 昭和63年12月25日に最後の卒論の手伝いを終えて、1日置いた12月27日夜、大学最後の冬休みを北海道で過ごすべく、京都駅から金沢行の列車に乗りました。 その後、新潟で1度乗り換えて、さらに青森を...
奮闘記

自費出版への道 8 大学のサークルでひたすら青焼きコピーをしたお話

社地研には学術局、書記局、組織局、会計局などの運営組織があり、私は1、2回生の時には編集局に所属していました。 編集局では「ゲオグラフィア」という機関誌を年に4回、そのほかに夏休みや冬休みの前にメンバーの予定などを寄せた「社地研自身」を発行...
奮闘記

自費出版への道 7 大学の夏休みに私が行った福井県丸岡、愛媛県越智郡岩城島、岡山県津山市でのお話し

社会地理学研究会しゃかいちりがくけんきゅうかい、通称社地研しゃちけんの活動はかなり地味です。 新入生を迎える前、3月にはすでに次年度の調査研究対象地域が決まっており、年度が替わる4月からは選定した地域問題の学術的アプローチが始まります。です...
奮闘記

自費出版への道 6 大学で出会った地理学専門書が難しすぎた話

昭和60年(1985年)4月、私は無事に立命館大学に入学しました。 初めての京都。身内親戚知人友人、誰もいません。 何をするにも判断基準は、わずか18年という時間で積み重ねてきた自分の価値観のみ。24時間の時間の使い方総てが私個人の判断に委...