自費出版への道 29 「オブシディアンの指輪」それは実在する異世界の物語かも知れない

奮闘記

 今回は、私の書いた物語「オブシディアンの指輪」について、お話をしていこうと思います。 

 オブシディアンの指輪は、日本の古代史をモチーフにした歴史ファンタジーで「記憶の欠片かけら編」では神話の時代、特に神武の東征に焦点を当てた物語の構成に、「時の意思編」では用明ようめい天皇から崇峻すしゅん推古すいこ天皇の飛鳥時代を物語の骨子にしています。

 物語の根っこにあるのは、日本の神話の時代や古代には、もしかしたらこんなことがあったんじゃないかなぁという、あくまでも私の個人的な歴史解釈です。

 もちろん、私がモチーフに選んだ神武の東征や飛鳥時代については、すでに多くの歴史書があり、神武天皇や聖徳太子に関する多くの本が書かれ、出版されています。私の物語は、これら先人たちの歴史解釈を否定するものではなく、しかし、従来とは全く違った視点で歴史を俯瞰ふかんしてみると、これまで私たちが学んできた歴史とは、全く異なる様相が見えてきます。

 歴史を語る人の数だけ歴史がある。
 こと古代史の解釈については、そんな風に言われることがあります。
 私の物語は小説ですから、最初からフィクション、本当のことではありませんが、それをいかにも本当っぽく書く。そこに歴史の浪漫があるのだと私は思っています。

 「オブシディアンの指輪」の卵は、2015年の6月に開催したセミナーでした。

 保険の代理店を営んでいる私は、保険会社は病気やけがをしたときの手当としての傷害保険や医療保険、がん保険、死亡保険など様々な保険商品を販売しているけれども、そもそも「どうすれば病気にならないのか」については、保険会社から聞いたことがありません。

 契約数があって、それはすなわち毎月多額の保険料が収入として保険会社に入ります。そして、例えば「みなさん、こうこうすれば、病気になりにくい、なったとしても軽傷で済みますよ」などという情報を出して、みんなが健康であれば、支払保険金の額が少なくなるわけで、どう考えてもそっちの方が保険会社は儲かるはずなのに、健康に関する情報は出さない。出すのは、こんな病気になったら何日の入院が必要で、こんな治療方法がありますってことばかり。

 おかしくない?

 保険会社がやらないのなら、自分でやればいい。

 そう決めて行ったのが2時間の健康セミナーでした(詳しくは、自費出版への道 16 『オブシディアンの指環』の素となった大人の課外講座を始めたときのお話し – 還暦おじさんの自費出版奮闘記にて)。

 そして2016年の1月より、2時間の健康セミナーをより細分化して、より詳しく9回の講座にして始めたのが「大人の課外講座 生命の誕生と進化の歴史に健康の秘訣あり!」でした。詳しいことは、上記の「自費出版への道 16」に書いてありますが、私たちは地球に生まれているわけで、その地球は宇宙から生まれました。だから、宇宙と地球の誕生からはじめて、地球における生命の誕生からその進化の過程を辿り、私たちのからだがいかに形作られてきたのかを知る。

 つまり、まずはマクロ的視点で自分たちの生命について知る。
 その上で、今度はミクロ的視点で私たちのからだの中、血液のこととか、免疫のこととか、健康を守るために私たちのからだに予め備わっている機能について知り、最後は「生きる」ことそのものについて考える。そんな講座に仕立て上げました。

 そして健康講座に加えて、何か自分らしい、自分でやってみたいことも講座に取り入れてみようと設けたのが「信じるか信じないかはあなた次第の課外講座」で、その中に「日本創世の物語1 黎明れいめい期」と「日本創世の物語2 国家形成」という2つの講座を作ったのです。

 この黎明期が物語の「記憶の欠片」に、国家形成が「時の意思」につながっていきます。

 ただ、大人の課外講座からまっすぐオブシディアンの指輪になっていったわけではなく、自費出版への道17 何も分かっていなかった初めて書いた物語「第1章 やまのべのみち」や、18 「松本清張賞」へ応募したときのお話しにも書いたように、「蟠桃堂ばんとうどうの談話室」という物語として一つのカタチを得たのです。

 その蟠桃堂の談話室も、元々は「アンバールート~蟠桃堂の談話室」というタイトルで書かれた物語で、はじめは副題に過ぎなかったのです。

 アンバールートとは、かつて日本に存在していた「琥珀こばくの道」で、いまでも琥珀博物館のある岩手県久慈市あたりから、今の奈良県桜井市にあったとされる纏向遺跡に向かって伸びていた琥珀の移送ルートのことです。

 琥珀の多くは、今から1万年以上前の遺跡から出土していますが、近年、北海道千歳市の「柏台1遺跡」から約2万年前のものとされる世界最古級の琥珀製小玉が発見されて話題になっています。つまり、はるか縄文時代の頃から、琥珀を中心とした輸送文化が存在していたことになります。

 縄文時代というと、人々は竪穴式住居に住んで、魚や貝を捕り、木の実を採取していた時代だという認識を持っている人が多いと思いますが、決してそんなことはなくて、青森県の三内丸山遺跡にみられるように、高度な技術で造られた建築物があり、栗やゴボウなどの農作物を育て、今の新潟県糸魚川市周辺で産出される翡翠をそう装飾品として加工し、琥珀を遠く離れた地域に向けて運んでいたのです。

 どうでしょう。
 縄文時代に地味で暗い印象を持っていた人も少なくないと思いますが、決してそんなことはないのです。むしろ、三内丸山遺跡にある大型掘立柱建物跡のように、現代の技術を持ってしても建築が困難な建物があったりして、私たちよりも高度な文明や技術を持っていた可能性すらあるのです。

 それを裏付ける一つがこのアンバールートです。
 琥珀の産地であった久慈市は、岩手県とは言っても青森県八戸市との県境にある町です。運んだ琥珀は、1個や2個ではありません。それなりにかさもあり、重量もあるものを約1100キロあまりもの距離を、どうやって、何のために運んだのか。

 桜井市にある埋蔵文化財センターには、琥珀の道、アンバールートの周辺で見つかった土器が展示されています。煮炊きをした跡がある、実際にその時代に生きた人が使っていた土器を観ることが出来ます。琥珀を運びながら、その道程で人々はどんな人生を歩んでいたのか。そこに人々のどんな暮らしがあったのか。想像力をかき立てられます。

 大人の課外講座を機転の一つとしてうまれた「アンバールート」の物語は、その構成にも健康講座の思考が色濃く出ていています。

 例えば「指輪」の主人公にもなる藤井夢心ふじいゆめは、アンバールートの中では、アトピーとそれを原因とする「いじめ」に苦しむ、どちらかというと暗くておとなしいイメージの女子高生として設定されています。

 なぜそうなったのか。

 大人の課外講座で、地球における生物の進化のプロセスや、それを踏まえての医療や保険の仕組みを学んだあとで向き合ったアンバールートの物語ですから、必然、それらが影響したはずです。

 また同時に「信じるか信じないかはあなた次第の課外講座」では「風邪薬の真実」というテーマで、お薬を題材にした講座を一つ、設けていました。この講座を開催するにあたり、私は一念発起して登録販売員の資格を猛勉強して取りました。さすがにお薬の話は、推測では出来ませんので。

 このお薬の講座と登録販売員の資格取得のための勉強もまた、アンバールートの物語に色濃く反映されました。

 指輪にも登場する蟠桃堂ですが、この屋号は漢方薬局を念頭に置いて考え出された名前ですし、アトピーや農薬、ミツバチの話題なども、薬や健康と無関係ではありません。

 でも、やはり「アンバールート ~蟠桃堂の談話室~」は、稚拙でした。
 歴史浪漫と言いながら、お薬の話があったり、農業や農薬の話があったり、夢心の夏休みの課題がいじめを解消するきっかけになったり、それも唐突感が否めず、物語全体として何を書きたいのか、何を伝えたいのかが分からない、テーマというテーマがない、とても物語とは言えないような作品だったのです。

 それを松本清張賞などという、権威あるコンテストへの応募作品としたのですから、ものを知らないというのは、ある意味、無敵なのだと思うのです。

 アンバールートもそうですが、私が物語を書こうと決めたときに決めたことは、「それまで私が教えてもらったこと、学んだことのすべてをアウトプットしよう」ということでした。住宅メーカーから不動産屋さん、保険業界。20年、30年かけて勉強会や外部の講師を招いての様々な研修を受けました。
 いわば、「生きること」について社会から教え込まれ、今の私を形作っていった物事のすべてをこの物語の中に、エッセンスとして盛り込んで行こうと思ったのです。

 だからこそ「アンバールート ~蟠桃堂の談話室~」は、いろんなことを詰め込みすぎて、結果として支離滅裂な、とても物語とは言えないような作品になってしまったのですが、今にしてみれば、この作品があったからこそ「オブシディアンの指輪」は生まれたのだと思います。

 松本清張賞の落選が決まってから私は「アンバールート ~蟠桃堂の談話室~」の続編を書いてみようと思い立ち、少し書きました。
 アンバールートは夢心が高校2年生の時の物語でしたから、夢心のその後ということで、夢心が大学を卒業して蟠桃堂に薬剤師として勤め始めた頃から、という設定でした。
 夢心のライバルとして登場していた花咲心優は、男にだまされて早期に結婚、妊娠、出産をするのですが、夫の浮気によってボロボロになっていく、そんなまさにありふれた、想像力のなさ過ぎる設定でした。

 ここでもまだ、物語は大人の課外講座を引きずっていて、心優が生計を立てていくためにコンビニのお弁当工場で働き始めるのですが、そこで心優は見てはいけないものをたくさん見てしまいます。一応小説上の話ですが、いわゆる「混ぜ粉」の問題であるとか、そういうことです。

 一章分くらいは書いたでしょうか。でも、そこから先には進みませんでした。
 あとから書きますが、今にして思えば、自分の中で本当に書きたいものとは違っていたのでしょうね。

 ちゃんとしなきゃ。
 そう考えて出会ったのが、三幕八場の理論だったり、「写経」でした。
 そして考え至ったのが、「アンバールート ~蟠桃堂の談話室~」を一から書き直す。手を加えるのではなく、物語を一度まっさらな状態に戻して、書き始めるということでした。

 まず、手をつけたのがキャラクターです。
 まずは主人公の藤井夢心です。前作では夢心があまりにも暗すぎたので、今度は、勉強はあまり出来ないけれど、歴史の知識だけは先生顔負けで、スポーツ万能、明るいキャラでクラスの人気者という新しい設定にしました。このアーバンルートとは全く逆のキャラになった藤井夢心がいたからこそ、いや、夢心の存在そのものが、オブシディアンの指輪の物語を生み出したと言っても過言ではないでしょう。

 夢心だけではありません。
 アンバールートと同様に夢心のライバルとして登場する花咲心優はなさきみひろ、夢心の理解者でもあり親友でもある大野沙羅おおのさら、喫茶店蟠桃堂のマスター天海珀あまみはく、常連の木本理砂きもとりさ。誰もが指輪の物語には書かすことの出来ないキャラクターとなりました。

 彼女、彼らは、しばしば物語の中で私の設定や予想を超えた行動をし、私が考えてもいなかった台詞を突如として口にします。確かに舞台設定をしていくのは私なのですが、その舞台すら、彼女らに作り出させられているような気になります。

 私は夢心や長髄彦ながすねひこ、あるいは磐余いわれ神武じんむ天皇)らが、私の想像した舞台の中で自由に動き回っているその姿を書き取っているに過ぎない。物語を書き進める時間の中でしばしばそんな気持ちになったものです。

 物語を書いているときには、四六時中、物語のことを考えています。その波動が時空を飛び越えて、私の思考と同じ波動を持つ別の世界=平行世界とつながって、そして物語の中に登場する「時の回廊」を介して、異世界から私の頭の中にやってきた夢心の記憶、夢の世界の波動を今度は私が受け取って物語として書き取って、そうして出来上がったのが「オブシディアンの指輪」だったのではないか、そんな風に思うことが増えました。

 作詞家や作曲家、もちろん小説家もそうですが、物語やメロディが「降りてくる」と言いますよね。私が経験したのもまさにそんな感じなのです。

 アカシックレコードはこの世界のすべてを記録していると言います。
 そのすべてとは、私たちの目に可視化して見える世界のことだけではなく、すぐ隣にあるけれども見えない世界も含んでいて、その世界は、私たちの日々の判断一つで私たちの世界につながって、私たちの未来となっていく。

 そう考えるとこの世界は、私たちの世界は、私たち一人ひとりの日々の選択の結果の集合体ではないでしょうか。私たちは知らずしらず、まるで、列車が線路のポイントを切り替えて走るように、日々、生きることの選択を繰り返し、私たちのすぐ隣に存在する無数の平行世界を行き来している。

 ということは、私たち一人ひとりが可視化して見ている世界は実は同じように見えて、違った世界なのかも知れません。

 オブシディアンの指輪の物語は、日本の古代史をモチーフにして、神社や神様の名前に隠された謎を解き明かしながら展開していくミステリーの要素も含んでいます。
 八幡神社の謎、稲荷神社の名に隠された神とは?
 天照大神と瀬尾律姫の関係とは?
 聖徳太子の本当の姿とは?
 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命とは?
 ホアカリという神の正体とは?

 などなど、見所満載です。

 そしてさっき言ったように、指輪の物語の最初のタイトルは「生きる」でした。

 私は、最近、命が粗末に扱われていることに非常に危機感を持っています。特に、若い人が自ら命を絶ってしまう、絶たれてしまうことをとても哀しく思います。

 「あなたの命はあなただけのものではなく、この世界のものなのであり、この世界のすべてはあなたのものなのだと」いう、とある台詞があります。

 私たち一人ひとりは、この世界に生まれて今生きていることに意味があるのであって、誰一人としてこの世界に存在しなくていい存在などないのです。自分で自分を卑下ひげするのではなく、自分のことは自分が最も大事に守ってあげなければならない。

 自分の下した判断に誇りを持って、時にその判断が間違っていたとしても、そこから修正すればいいだけの話で、仮にその判断が間違っていたり、その判断の下での行動が失敗だったとしても、その判断そのものを責める必要などないのです。
 なぜなら、一つひとつの人生の判断は、私たち一人ひとりが生きるために、生き続けるために自らが下した尊い判断だからです。

 だから自分で自分のことを責め続けたり、卑下したり、あるいは他人に見下されたり、そんなことをする必要もなければ、されるわれもないのです。

 私たち一人ひとりは、誰もが幸せになるために生まれてくるのです。
 誰もが幸せになっていいのです。不幸でいい人生など存在しません。
 それは、この世界に存在するありとあらゆる命、万物に与えられた権利なのです。

 これが日本人が古来からそのDNAに有している「信仰」なのです。
 あまりにも当たり前すぎて、日本人はそれを信仰だとは気がついていません。
 でも、ありとあらゆる命やモノに神々が宿り、この世界を作っているという考え方が分からないという日本人はいないでしょう。
 「もったいない」という概念を説明しないと分からない日本人もいないはずです。

 ところが昨今は、「自分の職務職権を権利権力と勘違いしている輩が多すぎる」と思うのです。おそらくは、ありとあらゆる職業にみられる現象ではないかと思っています。

 あるいは、親の社会的立場を自分の力だと勘違いしている人もいます。
逆に自分の社会的立場を勘違いして、さも自分の家族までがエラいのだと勘違いしている人もいます。その社会的立場を築いたのは立派ですが、決して一人で成し得たわけではありません。多くの人の力と支えがあってはじめて社会的立場というのは得られるはずです。
 そもそも自分のことをエラいなどと思っている輩に限って、大してエラくもないのです。

 私がアンバールートや指輪で表現したかったのは、私たちに与えられているのは職務や職権であり、権利や権力とは全く異なるものだということ。
 権利や権力というのは、政治家であれば国民から、会社であれば社員や社員の家族から託されている力であって、たまたまあなたがその立場にいたからそれを使うことが出来るのであって、別にあなた特定の個人に向けて託した力ではないのです。

 従って、権利や権力は、いわば仮初めの力であって、それを勘違いしてはいけない。最も尊いのは真実の持つ普遍の力なんだと、それを私は物語の中で、藤井夢心たちの言葉や行動をを借りて表現したかったのです。だから、物語の最初のタイトルが「生きる」だったのです。

 「オブシディアンの指輪」には、どこまで出来たか分かりませんが、これまでの私の人生のすべてを注ぎ込みました。このブログを、なぜ、私の幼少期からのことを自叙伝的に書いたのかというと、オブシディアンの指輪は私自身の物語でもあるからです。私が歩んできた時間を振り返ってみることで、物語に対する理解をより深めていただけるのではないかと思ったからです。

 私は、この「オブシディアンの指輪」をできるだけ多くの人に読んで欲しいと思っています。
 特に若い人たちに。自分の居場所がないと思い込んでしまっている人たちに。
 自信を失い、道を見失い、未来への光さえ見ることを忘れてしまっている人たちに読んで欲しいと思っています。

 あなたたちは、決して一人ではありません。

 いつか書いたように、著者の手を離れた物語=作品は、それを手に取ってページを開いた人の物語になります。読み手は書き手の人生のことなど分かりません。読み手は読み手の人生の中でのみ、その物語を読んでゆくのです。そのときに、こうして著者のバックグラウンドを一つの知識、知識の一つとして得てから著者の物語に触れることで、読み手の人生に何か役に立てることがあるかも知れない。そんな風に考えています。

 このブログを読んでいただいた方は、多少なりとも私や私の物語に興味を持って頂いた方だと思います。是非、物語の世界に触れて、没入して欲しいと思います。きっと、時の回廊があなたを、あなたにとって最適の波動を持つ平行世界=パラレルワールドに導いてくれることと思います。

 続編も書きました。
 「オブシディアンの指輪 3 故郷への旅路」です。

 そしていま、「オブシディアンの指輪 4」を書こうと思っています。

 私自身の旅は、まだまだ続くようです。
 また、キャラクターたちと一緒に、新しい物語を、彼ら彼女らの物語を書き取っていくことが出来ると思うと、楽しくて仕方がありません。 

 還暦を迎えても、おじさんはまだまだ頑張ります。
 どうやら人間は120歳から150歳までは、普通に生きられるそうですから。
 まだまだ人生半分。
 生きることに対する熱量を持ち続けること、それが最も生きるために必要なことだと思っています。

 次回は「オブシディアンの指輪 3 故郷への旅路」について、触れていきたいと思います。

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